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 初代指揮者・西川先生 プログラム記事、インタビュー語録 など


 西川先生が吹奏楽の指導を始められたのは、教師として最初に赴任された西海町の中学校で、往時は卒業と同時に「金の卵」と呼ばれて集団就職していた生徒達を、佐世保駅からどうにかして賑やかに送り出そうとしたのが最初のきっかけだったそうです。余談ながら、学校の楽器だけでは足りずに、当時のボーナスはすべて楽器の購入に充てられていたとか。
 以来、音楽指導歴は足かけ60年にも及び、それはそれは数多くの教え子を育てられました。その中には、ソロ奏者や国内外のオーケストラで活躍されているプロフェッショナルの演奏家、また西川先生のような指導者になられた方もいらっしゃるそうです。西川先生は、ジュネスの教え子たちにも、音楽だけではなく大切なことをたくさん教えてくださいました。
 2009年のジュネス創設から8年後、ご親友・長沼桂三先生の追悼演奏会(2017年10月1日)を区切りとされて、西川先生はジュネスの指揮者からご勇退されましたが、この『西川語録』のページには、西川先生のお言葉やプログラムに掲載された曲の解説、メディアからのインタビュー語録などを書き留めています。



「西川先生ご夫妻感謝の会」でのあいさつで(抜粋)(2017年11月11日)
西川「以前、なんと佐世保から、わざわざ長与の私の家まで遊びに来てくれた姉弟がいました。そして話をするうちに、バイオリンを車に積んでいるので「だったらそのバイオリンを2人で弾いてくれ」と頼みました。急いで楽譜を用意すると、この2人は上手にパラパラ弾くんですね。1期生のお姉ちゃんと、何期生でもない弟。1期生の人は覚えていますか? この弟くんは、お姉ちゃんの練習にいつもついてきていましたね。じわーっと寄っていって「おい、バイオリンばしようで」と誘ったら、「僕はライダーになるけん、バイオリンはせんちゃよか!」と言って断られました。ところがなんと、佐世保に引っ越して、それからバイオリンを始めていたわけですね。彼の演奏会を聴きに行きました。ステージの真ん中で、皆と一緒にバイオリンを弾いていました。涙があふれました。よかった、こういう子どもを持ってよかった。
 そこで私は、夢があるんです。もう、かけがえのない、何にも代えられない夢があります。それはですね、今日集まった一人一人は、必ずバイオリンを続けてほしい。そして、1年後、3年後、いやいや、10年後、20年後、夏になったら長与に帰ってきて、長与のステージに立ってくれませんか? 平和コンサートで、バイオリン弾いてくれ、チェロを弾いてくれ。長与におる人は、遠くから夏に長与に帰ってくる人がいるはずだから、その柱になるように、長与で活動をしてほしい。どんな活動のしかたでも構いません。そしてそこに、みんな夏になったら帰ってきて「おい、どげんしようとや? 今年も会うたな。おまえいくつになっとっとや? もう38になっとる」とかね。ステージの上ではしゃべれないでしょうけど、ステージ引いた時には、そういう話しでもしながら平和コンサートを支えてほしい。いや、平和コンサートを支えるということは、長与にオーケストラを作る、オーケストラのある町なんて日本国中ない。それを作ることです。それは君たちの肩にかかっている。どうぞ、バイオリンを続けてください。そして時々、私も聴かせてください。お願いします。」

感謝の会
#第1期生から
【歴代の団員】が勢揃いで、なんと参加者76名のたいへん賑やかな「感謝の会」でした。
西川先生ご夫妻は、この写真を撮った後、子どもたちからもみくちゃにされていました。
これまでのご指導に感謝して、全員からのメッセージカードと、歴代の写真を集めたフォトブック、そして 2009年8月9日の平和コンサートから【歴代の演奏】を全て収録したCD(なんとCD22枚!合計300曲以上!)を、記念品としてお渡ししました。
子どもたちが38歳になるまで、西川先生は元気でいらっしゃってくださるようですよ! みんな、バイオリンを続けよう!



長沼桂三先生メモリアルコンサート(2017年10月1日)
 長沼君とは長崎西高校時代からの悪友。家内は大学音楽科の同級生。北病院へ見舞いに行ったとき、彼は歩行訓練をしていた。足もだが気持ちが余程強くないと困難なことを知らされた。
 長年病魔と闘っている者に力と希望を持たせられる事ができるだろうかと思いつつ、北病院の事務長にお願いしてロビーコンサートをすることになった。しかし、本番の日はすでに彼は退院して奥様のもとへ帰っていた。以後ジュネスは年に一回北病院で慰問演奏をすることになったが、今日はその日、長沼君が車椅子で指揮をするはずだった
【アヴェ・マリア】を演奏しようと思う。

ごあいさつ(発起人代表として)
 本日は「長沼桂三先生メモリアルコンサート」にご来場くださり、誠にありがとうございました。
 私事で恐縮ですが、学生時代に千葉県や長崎県では岐宿で貝塚を堀に行ったことがあります。地図上の位置の確認や縦・横・深さなどを設定してトレンチを掘るわけです。スコップや鍬に何かが当たると移植ゴテやはけ・筆などに道具を替えて土器などを発見します。そしてどんな器の破片なのか、どんな人が何に使ったのかいろいろ思いを巡らせます。
 カルチャーとは「耕す」という他に「文化」という意味があるそうです。長沼先生は自然をどう耕したのでしょうか。また一つの文化として何を目指して生きたのでしょうか。
 ここ長与町民文化ホールは、先人に学ぶトレンチだと思います。長沼先生が作った、または造ろうとした土器、「文化」が出てくるのではないでしょうか。私は先生の文化を発見して受け継ぎ、確かなものにすることが、自分の歩んできた道を振り返り、また立ち止まって考え、明日の一歩を踏み出す糧になるのではないかと思っています。
 なお、開催にあたり、長沼先生が少年期から青年期を過ごした長与町ならびに教育委員会、町文化協会、社会福祉協議会をはじめ多くの団体や個人のお力添えをいただきましたことに厚く御礼申し上げます。本日のご来場誠にありがとうございました。

メモリアルコンサート



長沼桂三先生メモリアルへのご案内(2017年7月・発起人代表として)【案内チラシ】
 「俺の場合、どっちん道でんよか道じゃった」飲み会への時間調整で立ち寄った「ウミノ」での話でした。人生の岐路に立ったとき、誰もがいろいろな道を考えることと思います。長沼君は「他を選べば良かった」などと考えた場合は無かったと言います。
 さて、私たちは「長沼桂三先生メモリアルコンサート」を企画しました。一般的には追悼演奏会ですが、教え子や友人、職場での後輩や同僚のスピーチ・音楽の中で、先生の「よか道」を探り、自らの道をみつけてみませんか。ここにご来場いただきますよう御案内申し上げます。
 なお、長与町、長与町教育委員会・長与町文化協会をはじめ多数の方々に物心両面に亘る御支援、御協力をいただき誠にありがとうございました。深く感謝申し上げます。


第18回 平和コンサート in ながよ(2017年8月6日)
次代の平和コンサートを担う人材を育てたいということで「弦楽器講座」が生まれ、さらに発展してほしいと結成されました。
年間4〜5回のステージをこなす中で確実に成長しています。スプリングコンサートでの「好きな人と好きな曲を助け合いながら弾く」といったデュエットは、譜面からの発見や努力だとか責任といった面での成長の跡がうかがえます。

【「ウィーンの森の物語」より】(J.シュトラウス2世)
日本では戊辰戦争があったり、「ええじゃないか」や「トコトンヤレ節」が流行していた1868年、ウィーンで初演されました。
民族舞踊や民謡風な旋律の中で、ワルツとしてある種の上品さがあって、一度はステージにかけたかった曲です。しかしフルオーケストラでなければ演奏はできないし、中でもハープやツィター等が必要ですが、いずれもピアノに責任を負ってもらいました。
また、この曲は5つのワルツと122小節におよぶイントロ、壮大なコーダを持っています。演奏時間も15-6分はかかると思われますので、大幅にカットしました。ただメンバー達は「どんな森だろう」とか、「どんな物語なの?」と想いを広げて、絵に描いてくれました。ぜひホワイエでご覧ください。

【上を向いて歩こう】(中村八大)
1961年(昭和36年)、ソ連のガガーリンが人類初の宇宙飛行をして、「空はとっても暗かったが、地球は青かった」と言って話題になった頃、日本では六・八・九・のトリオ(作詞:永六輔、作曲:中村八大、歌:坂本九)が次々とヒット曲を出していました。
 「ひとりぼっちで寂しい」
 「涙がこぼれないよう」
 一人、またひとり、僕の横に来て「涙流すな」
 大勢の人が僕を囲んで伴奏してくれる。
 クラベスも、ギロも…
 元気が湧いてきた。「涙よさよなら」だよね。
 ワーイ みんな仲良しなんだ。
昨年、NHK合唱コンクールで歌われたのを機に、イジメのない社会をめざして取り上げてみました。

平和コンサート



「文協ながよ(創立40周年記念誌)」に寄せた記事(2017年3月)
園児のひとこと
もう三、四年前になるだろうか。ジュネス団員の姉を伴ってお父さんと妹の訪問を受けたときのことだ。本番が近いということで、最後にお父さんと私も加わって井上陽水の「少年時代」を弾いた。何か処かのチェックがあって、曲を通した。終わって一呼吸して、「アーきれかった」「涙の出るごときれかった」と妹の方が言った。
妹はまだ園児になったばかりで、拙宅に来て1人で遊んでいた。私達は妹の存在すら意識していなかったのに、「涙の出るごときれかった」とは。
「きれい」な部分はイントロだろうか、テーマの登場か、もしかしてピアノを入れた四重奏が織りなすハーモニーなのだろうか。暫くその言葉に衝撃を受けて動けなかった。『何という感性の持ち主だろう、美しいものに共鳴する琴線を持っていて、しかも「涙の出るごと」と表現している。』
新曲に取り組むときは、その曲の調の音階やリズムを取り上げたり、曲の由来や作曲者のエピソード等を話したりする。
【フォスターの草競馬】をした時だ。楽譜を作るときは曲の動きについて色々考えていた。そして本番近くになって私の考えを一気に掲示をした。
競馬場に着いた。大勢のお客、「ワイワイ、ガヤガヤ」とみんなで言う。「馬が出て来た」と誰か言ってくれ。曲はゆっくりだぞ。二番括弧の二拍目だ。ピストルの音。ダメだ!馬は懸命に走り出すんだぞ、テンポは上げんば。「ア、牛のまぎれこんでる」と誰か…言うてくれ。言いたい人はいない?
バイオリンを弾くのに懸命で、声を出したり身体表現するのはどうも苦手なようだ。よく考えてみると「音楽の基礎は歌だ」と日頃から言うものの、そんなことを練習に取り入れていなかった。「シマッタ」大変なことをしてしまった。
ジュネスの団員は誰でも音楽が好きで、歌も歌っていたはずだ。バイオリンだけを教えて、言葉や人の声の素晴らしさ・豊かさ・人の営みの美しさなどを体験させていなかった。あの拙宅で「涙の出るごときれかった」と言った園児と同じ感性を、団員も持っているはず。果たしてそれを伸ばすよう、どんな手立てをしただろうか。いやむしろ、知らぬうちに芽を摘んでいるのではないだろうか。
子どもは先人の遺産を一身に受け止めて、それを継承して成長しようとしている。ほんの一握りだが、「美しいもの」を大切に譲り渡さなければならない。
「先生ッ」といってあの園児が今日も拙宅の前をランドセルを担いで賑やかに通って行った。


第7回 スプリング・コンサートのあいさつで(抜粋)(2017年4月)
西川(演奏を終えて)「お忙しい中を、私たちの演奏会にお出かけいただきまして、ありがとうございました。それから、ご家族のみなさまもたくさんお見えでないかなと思っております。今日の運営、企画、いやもっと前から、週に1回の練習、すべてこれはお母さん方が設計されたものです。お母さん方のご協力があって、今日を迎えることができました。そして、何と言っても、後ろに並んでいる諸君らは、もう5年も6年も、いやもっと、7年8年くらい楽器を握って練習したメンバーです。それから一番下の子は、まだ楽器を握って1年たたない諸君らです。今日の出来はいかがだったでしょうか? もしよろしければ、盛大な拍手をお願いします。どうもありがとうございます。指導したのはこれだけの指導者ですが、指導したというのは、誠に僭越な話し。本当は、お母さん方と、それからご近所の方、うるさいバイオリンを聴かされた方とか、いろいろいらっしゃるでしょうけれども、皆さん方のご協力で、このようにして子どもたちは成長しております。今後とも私たちの活動を、温かく見守っていただいて、ご協力・ご声援のほどをよろしくお願いいたしまして、挨拶に代えさせていただきたます。本日はありがとうございました。」

スプリングコンサート



第17回 平和コンサート in ながよ(2016年8月7日)
平和コンサートの中から「弦楽器講座」が生まれ、さらにその芽を伸ばそうということで、「平和コンサート in ながよ」ジュネス弦楽アンサンブルが結成されて8年目になります。
平和コンサートのほか、町の文化祭、文化協会の発表大会、団独自のスプリングコンサートなど、年間4〜5回の演奏活動をしています。中でもスプリングコンサートでのデュエットは、「友達の音を聴く」という点で成果があるようです。
今日は8年目を迎えてもなお伸び伸びと成長を続けるジュネスの演奏をお楽しみください。

71年前のあの日は、朝から行進練習でした。「歩調をとれ!」「膝をしっかり上げぃ!」行進は一糸乱れぬものでしたが、靴を履いている者は半分足らず。残りは自分の編んだ草履や下駄履きで登校しており、行進は素足でした。
でも、私は行進が楽しかったのです。式典で歌う「君が代」は荘厳なものでしたが、歩調を合わせて行進する「君が代」は、全く違う、蝶が舞うような曲だったのです。
行進練習が終わり、私たちが朝礼台の前に並んで校長先生の話を聞いていたその時、額を針で突き刺したような痛みを感じました。辰の口の山手奥には黒い煙が見え、日暮れにはボロボロの服(実は皮膚)を着た女の人が、「多以良まで行く」と言って通り過ぎたり、降り出したにわか雨を手ぬぐいで拭くと黒くなったり、とても不思議な1日でした。
その後は、教科書の多くの部分を墨で塗り、意味が通じなくなった教科書もやがて姿を消し、あの蝶が舞うような「君が代」を聴くこともなくなりました。

【長崎県スポーツ行進曲】(秋山紀夫)
長与中学校吹奏楽部は、昭和44年の長崎国体で、長崎地区の4中学校とともに指定を受け、式典音楽を担当することになりました。ティンパニー、バス、クラリネット、バリトンサックスなど高価な低音楽器を買ってもらいました。
国体の中央講師の秋山氏に、マーチの作曲を委嘱しました。
驚きました。あの夏の日の蝶が舞う「君が代」がよみがえったのです。そして蝶々さんの行進。こともあろうに「ある晴れた日に」のメロディーをを使っていました。
「西洋文化は長崎からだからね、蝶々夫人を入れない訳にはいかないよ。」
「戦後の荒廃を、全国の人が『長崎の鐘』を歌って復興したじゃないか。」
作曲者の言葉は重いものでした。
長与中学校吹奏楽部は、諫早のメイン会場のほか、琴海町のボート会場、長与のソフトボール会場などで、この曲を演奏しました。

【行進曲「長崎」】(秋山紀夫)
吹奏楽連盟では、平成元年の市制100周年で、記念パレードをすることや記念曲を作ることなどを決め、作曲を秋山紀夫先生にお願いしました。
秋山先生が行き詰まっているとき、ふとつけたテレビから「赤かとバイ〜」のCMが流れてきて、先生は「これ、これこれ!」と言われ、私が歌い、小野事務局長が早速旋律を書いて完成したのがこの行進曲です。
秋山先生のこれら2つの行進曲は、私の人生の中で、立ち止まって考えたり、進む力をもらったり、時にはその美しさに息を呑んだマーチです。
今日は、保護者の方や先生方にも演奏を加勢していただきました。「蝶々夫人」の第2幕、第1場最後のピンカートンを待つ蝶々さんのシルエットにハミングコーラスのトリオ。いくつかの迷いを残しながら、「神よ、この子らに表現の悦びを与え給え」の心境で本番を迎えます。
最後に、一連の地震で被災された熊本の方々にもマーチを届けたいと思います。家や街並みなど、早く取り戻してください。
「ガンバレくまもと!」

平和コンサート



第6回 スプリング・コンサートのあいさつで(抜粋)(2016年3月13日)
西川(演奏を終えて)「私は80を過ぎているのですが、親がまだ健在しております。明治の人間です。105歳。この105歳がですね、「浩はどんげん教育ばしよるとか。近頃は日本人のおろゆうなりよるじゃなかな」と言うわけです。毎日のテレビを見ていると、なんといろんな犯罪があっているのですね。それで「浩、見てみろ、こんげん世の中の今まであったか?」と言われるわけです。80過ぎても子どもですからね。
 それから、親父は30年ばかり前に亡くなりましたが、世の中が逆転した終戦の時には上海にいて、逃げまわっていました。その時ある中国人が「シーサン(先生)、ここにおったら危なかけん、私の言うごと来んね」と加勢してくれたそうです。最後は逃げ場がなくなって、この中国人の家にかくまわれましたが、すると日本出張の土産に渡した小さな地蔵を、窓際で窓の外を向かせて置いていたそうです。親父が「これはなして外向けとっとや?」と聞くと、「シーサンそれは、窓より内側は汚し」と答えたそうです。どうでしょう、もっと美しい家の中、欲望がうごめかないような世の中であってほしい、という思いがあったのでしょうか?
 今、私は、このジュネスとともに生活をして、誇らしく思っています。105歳の親にはこう言います「見てくれ、素晴らしい音楽を創るじゃないか。この中に、今からの日本を背負う人材がいっぱいいるじゃないか」。楽しみにしております。
 残された時間は私にはたくさんはないと思いますが、子どもたちと一緒に美しい社会を作るために、がんばっていきたいと思っております。ご声援をよろしくお願いいたします。今日はお忙しい中をありがとうございました。」

第6回スプリングコンサート

第6回スプリングコンサート



第16回 平和コンサート in ながよ(2015年8月9日)
 平和コンサートの中から「子どものための弦楽器講座」が生まれ、その芽をもっと伸ばそうということで結成されました。「友だちの音を聴こう」から始まり、「美しい音を見つけよう」となり、「美しい音に溶け合おう」などへ発展しますが、意外と飲み込みが早く、紅葉のような可愛い手で、よく弾いてくれます。また、3月27日 長崎北病院の慰問演奏をして、団員としての自覚や責任感を持つようになってきたようです。ご指導の先生方に感謝申し上げたいと思います。
 なお、今回は演奏曲目の都合で、ナガサキウインドオーケストラの有志の方に賛助出演をお願いしました。

【アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク 弦楽のためのセレナーデ K.525より 第一楽章】(W.A.モーツァルト)
 大胆で自由奔放な感じがするけれど実は緻密な構成で、親しみやすく、庶民的な感じだが、宮廷的で気品があって、近寄りがたいモーツァルト。でも一度は演奏してみたい。昨年は「魔笛」の中の 【パパパの二重唱】を取り上げたけど、やっぱり弦のアンサンブル曲をやりたいと思って、やや背伸びして取り組みました。
 日本名では「小夜曲」といわれますが、夕暮れ時に好きな人の家の窓下で歌われるものだそうです。誰の家の窓辺で演奏したのでしょうか。でも、芸術性の高い作品になっています。溌剌とした開放的な第1主題に対照的な静かでややおどけた第2主題と、近寄りがたいモーツァルトが、体の中に浸透してくるように感じます。コロコロと音が溢れ出るようなモーツァルトになるでしょうか。5年生の教科書に鑑賞曲として出てきますが、今日は一部をカットして第一楽章のみ演奏します。

【組曲「白鳥の湖」Op.20aより 1.情景】(P.I.チャイコフスキー)
 昨年は「コッペリア」の中の【マズルカ】【ワルツ】を取り上げましたが、今年はバレエ音楽の中では最も人気のある曲、最も知られている旋律に、無理を承知で挑戦しました。
 曲は一幕の終わり方、王子さまの宮殿の上を白鳥たちが飛んでいる。ハープ(ピアノ)のグリッサンドと弦楽器のトレモロに乗って白鳥のテーマがオーボエで演奏されます。チャイコフスキーの美しい情感溢れる旋律です。この主題はバレエ(全四幕)全体を通じて白鳥のオデットが現れる毎に演奏されます。
 そうなんです。この美しいチャイコフスキーのメロディを「原曲通りにオーボエで」と思って、ナガサキ・ウインドの有志に加わってもらいました。

【シルクロード】(作曲:喜多郎 編曲:藤田玄播)
 幼い頃、「魔法のランプ」や「アリババ物語」に何だか神懸かり的で、それでも魅力的で、近寄りがたい神秘性と畏敬の念などをいだいたものでした。360度砂また砂だったり、折り重なった山が目前に迫ったり。厳しい自然の中でラクダの背に荷物を負わせて、ひたすらパミール高原をめざす隊商。今、「シルクロード」は、高原を越えると眼下に道が開け、集落と時には街並みすら。でもさらに進むと、泥沼の戦争が続いている。しかもメソポタミア文明のニムルド遺跡などが破壊されていて、人類の歴史が否定されているようで悲しい。本当に悲しい。1950年代中頃、NHKで「シルクロード」の放送があり、そのテーマの音楽です。編曲者藤田玄播は、その解説の中に次のように記しています。
 <東西南北の架け橋「シルクロード」。この言葉の中に、私は神秘的な響きを感じる。喜多郎の音楽は、この地球を越えて壮大な宇宙へ飛翔しているようだ。彼の音楽は、わかりやすくしみじみとした情感に溢れている。和声学などは通用しない。心の琴線にふれる音楽を楽しもう>
 この曲が一世を風靡して半世紀以上。人類は何を考えどう生きてきたのだろうか。文明の対立に似た殺戮が絶えない。

平和コンサート



長崎シーボルト大学 Siebo 制作「ナガヨなう」2015年4月号にて(2015年3月1日)
ー 演奏会を終えての感想
西川「子どもたちはお互いカバーし合いながら、本番に向けて最後の最後まで頑張ってやったと思います。最後の
【美しく青きドナウ】まで、どんどん盛り上がっていって、なかなかいい演奏会になったのではないかと思います。」
ー この活動を通して子どもたちに学んでほしいこと
西川「できるだけ美しい音楽を創ろう。美しい音楽を聴いて体で浴びておれば、心は美しくなるのではないか。それを信じて、「美しい音楽で、美しい心を」というのがモットーです。」
「もう一つは、夏の平和コンサートの中で、やがて私も大人のオーケストラに入って、長与も被爆地だけど、ここから平和を高らかに宣言できるような、そんなメンバーになってほしい、と思うわけです。」
 →【YouTube動画】(番組の後半です)

第5回スプリングコンサート



長崎ケーブルメディア「なんでんカフェ」の生出演で(2014年8月8日)
ー ジュネス弦楽アンサンブルは、もともとどういったグループですか?
西川「平和コンサートでオーケストラが演奏するのに、大人はだんだん年を取っていくので、新しい世代にどんどんオーケストラに入ってもらおうということで「弦楽器講座」が始まったわけです。講座自体は2か月か3か月で終わりますので、その後も弦楽器を続けて、やがて力をつけてオーケストラに入っていこうという算段をしています。」

ー 平和について、音楽を通じてどのようなことを伝えていきたいと思われますか?
西川「私たちの時代は戦争があり、大変な時代でした。しかし今は平和な時代ですから、この平和をそのまま子どもたちに引き継いでいきたいと思っています。できるだけ、子どもたちには美しい音楽を聴いてもらい、演奏してもらい、友達と仲良くしてみんなで美しい音楽を創ってもらいたい。それが平和につながると私は考えています。」

ー 素敵なお言葉が胸にしみました。美しい音楽を演奏したり聴いたりできること自体が平和の象徴ですね。
西川「そうですね。私自身も幼稚園に行く前からバイオリンを習い始めたのですけど、戦争が始まると同時に、バイオリンは弾いたらいかん、大の男が女々しいと言われて、弾けなかったんです。そういう時代には決してならないように、と考えています。」

スタジオ ー 体験された方だからこそ出てくる西川先生のお言葉でした。戦時中は、好きなバイオリンを演奏することができなかった、平和だからこそ音楽を楽しむことができる、そういう思いが伝わりました。
 →
【番組ブログ】
 →【ミックンの部屋】(下の方にスクロールしてください)(はっさくじいちゃんは演奏を聴いてウルッときてしまったそうです)


ケーブルメディア生出演


平和コンサートを終えて(2014年8月3日)
西川「これ(平和コンサート)を続けていけば、多分この子たちが大人になった時には、もっといい、住みよい長与になるのではないかと楽しみにしています。」


第15回 平和コンサート in ながよ(2014年8月3日)
 平和コンサートの中から「子どものための弦楽器講座」が生まれ、その芽をもっと伸ばそうということで結成されました。すでに大人のオーケストラに数人送り出しています。
 デュエットで、小さな相棒を「今日はしっかりサポートしたい」と言ってステージに立った3年生がいました。「相手の音を聞く」(相手の意見を聞く)といった、人として大切なことや、相手の”良さ”を音で引き立てようとする素晴らしい世界を見せてもらったりしています。
 私には夢があります。10年後や20年後、いや50年後であっても、夏になったら今日演奏したメンバーが全国各地から楽器を担いで長与の文化ホールに来て、平和コンサートをしてほしい。「平和享受しているかい?」「言葉で言わんちゃ音で分かるたいのう」 言葉も弾むことでしょう。

【トリッチ・トラッチ・ポルカ】(J.シュトラウス2世)
「ワルツの父」ヨハン1世の長男として、1825年にウィーンで生まれています。音楽家になることに反対だった父に隠れてバイオリンと作曲を学び、19歳で音楽家としてデビュー。父と同じように舞踏音楽の演奏家、作曲家として活躍し、「ワルツの王」と言われています。
 曲名は日本語にして「ペチャクチャ」。長屋の女将さんの井戸端会議といったところでしょうが、そこはシュトラウス、夜会服に身を固め、上等の扇子をゆらしての貴婦人のおしゃべりを想わせる曲です。聞いている限りでは非常に調子よく、同じ旋律を繰り返して呆気なく終わるが、弾く方はなかなか大変です。

【アヴェ・マリア】(G.カッチーニ)
 イタリアの作曲家。日本では関ヶ原の戦いの前後になりますが、彼が活動していたフィレンツェでは、「古代ギリシャの再生」といった新しい芸術運動が興っていました。その柱の一つが感情表現への志向だったようです。彼が作曲した「エウリディーチェ」は、その運動の中で生まれたものであり、この曲もイタリア古典歌曲として不動の地位にあります。
「祈り」を想わせる部分の後、情感溢れる処があります。果たしてどんな演奏になるのでしょうか。

【バレエ音楽「コッペリア」より マズルカ】(L.ドリーブ)
 1836年フランス生まれ。当時のバレエ音楽は、単に踊り手の動作に合わせるだけの音楽でしたが、ドリーブの出現で、優雅で生き生きとした高度な劇音楽として再生しました。「バレエ音楽の父」といわれる彼の作品の中で、「コッペリア」は親しみやすく、気品のある美しい旋律と、躍動するリズムに満ち溢れています。
 マズルカは、ショパンなどの作品に多く見られるポーランドの民族舞曲。ここでは、若い男女が広場いっぱいになって陽気に踊る場面で、特色あるリズムが一貫して奏されます。

平和コンサート



練習風景の取材の中で(2014年7月)
西川「ピッチ(音程)を合わせるだけでも大変、そんな楽器です。友達の音を聞いて、自分の音を修正したりピッチを揃えていったり、という作業です。これは子どもと言えども、どういう生き方をしていくか、という、一番中心になるのは平和なのでしょうけれども、そういうことを少しずつ探っていく姿勢を育てたい、と考えています。」


文化功労賞
2013年11月 ジュネスでのご指導に対し、長与町から文化功労賞が授与されました。
西川先生からは、団員に紅白のおまんじゅうがふるまわれました。



第14回 平和コンサート in ながよ(2013年8月11日)
明日の平和コンサートを支える世代の育成として発足した団で、現在4期生までいます。土曜日9時30分からの練習は、「相手の音を聞く」とか「右手のボウイングと左手のピッチ」など、基礎的なことをやっています。そんな中で「文化協会発表大会」「平和コンサート」「町民文化祭」「スプリング・コンサート」と年4回の演奏会をこなしています。なかなか完璧な演奏はできませんが、懸命な姿は美しいものを感じます。
なお、多くの先生方にご指導をいただきました。ありがとうございました。

【平戸の子守歌 〜こしょろに寄せて〜】(西川倫治、編曲:指方 浩)
 作者が平戸と関わりを持つようになったのは、平戸と田平を結んでいた平戸口丸の点検修理をしていたことのようです。
昭和44年国体を機に、天皇皇后両陛下の平戸行幸があるとのことで、船の改装と両陛下のご座処造り、さらにそこに地元の花を生けると意気込んでいたことがありました。しかし一番心を動かしたのは、<こしょろ>の「ジャガタラ文」だったようです。
1639年、幕府は外国人と関係のある婦女子を日本から追放しました。こしょろもバタビア(現・ジャカルタ)に追放された40人の中の一人でした。茶包みの袱紗に故郷への思いを”日本こいしや…又とかえらぬふるさとおもえば、心もこころならず、なみだにむせび…”などと書いて送っています。
 一、こしょろ可愛いやよ 二八の娘よ オランダ舘のよ ほんとにそうばい 白椿よ
 二、罪も汚れもよ さらさら無いによ なぜに流したよ ほんとにそうばい じゃがたらへよ
 三、日本恋しやよ 恋しや平戸よ 夢にうつつによ ほんとにそうばい 忍び泣くよ
 四、母さん達者かよ 茶包み一つよ ジャガタラ文添えよ ほんとにそうばい うばまいるよ
和風の曲を器楽曲にアレンジするのは大変だったろうと思いますが、元唄が生き、平戸の海が輝き、海の男を感じる部分があって、指方浩先生によって美事に曲が蘇生しています。

【ワルツ「ドナウ川のさざなみ」】(イワノビッチ)
 子どもの頃はシュトラウスの「美しく青きドナウ」と旋律をよく間違えていましたが、シュトラウスの「ドナウ」は、最初は男声合唱付きだと知ったのは何と40過ぎでした。さらにイヴァノビッチの「ドナウ」は其の後管弦楽曲だと知って、恥しい限りです。
さて、「美しく青きドナウ」に比べて演奏される機会が少ないように思えますが、12〜3年遅く、1880年頃に初演されたようです。曲の構成もウィーン風のワルツの型になっていて、「美しく青きドナウ」によく似ています。二拍子で力強い序奏で始まり、カデンツァーを経て、透明で平安な第一ワルツが登場します。4つのワルツでできていますが、短調の部分でありながら明るい旋律だったり、短調風な長調だったりで面白いと思いました。今回はイントロの後半や、一部のリピートなどをカットして演奏します。イヴァノビッチについて、ルーマニアの軍楽隊の隊長だったことしか分からないのが何とも残念です。

平和コンサート

文化協会



第3回 スプリング・コンサート(2013年3月3日)
「春が来た」
「小鳥たちは、春にあいさつする」
「泉は、そよ風に優しくささやきながら流れだす」
とソネットがついたヴィヴァルディ「四季」の中の「春」。その中にモノクロではない色を見つけ、息吹を感じることができます。日本でも松浦検校の地歌に「梅のにおいに柳もなびく春風に。桃の弥生の花見てもどる。春の野駆けにせりよもぎ、つかみかけたるおもしろさ」とあります。
春には、梅も柳も桃も、小鳥たちも川も動きます。そして私たちジュネスもそよ風に唆されて動いてみました。未だ十分とは思わぬままに。
過去2回はホワイエで、内輪だけの音楽会でしたが、今回は大ホールでの一般公開にしました。公演にあたり、長与町・長与町教育委員会・長与町文化協会のご後援をいただき、また関係各位、更に保護者の方々に大変お世話になりました。特に長与少年少女合唱団様には予定された演奏会を変更して会場を譲っていただき、感謝申し上げます。
皆様の協力で開催される音楽会、最後まで楽しんでいただき、末永くご指導・ご鞭撻くださり、子どもたちを励ましていただきますようお願い申し上げます。

第3回スプリングコンサート


エフエム長崎「長与 Life so Wonderful」の取材の中で(2013年2月)
ー「平和コンサート in ながよ」ジュネス弦楽アンサンブルには、幼稚園から中学生までの子どもたちがたくさんいらっしゃいますが、もともとはどういうきっかけで集まられたのですか?
西川「毎年夏に、平和を長与から発信しようということで、平和コンサートをやっています。そこで、今後平和を受け継いでくれる人たちが欲しい、そしてまた平和コンサートを支えてくれる、そういうメンバーの育成をする必要があるのではないか、ということでジュネス弦楽アンサンブルができました。」

ー 今日実際に練習を見せていただいて、お子さんたちが年齢に関係なくとても仲がいいな、と思ったのですが、西川先生から見て、お子さんの雰囲気や様子はどうですか?
西川「雰囲気は非常にいいと思っています。新しい子どもたちの面倒を見てくれたり、早く来て練習場の準備をしてくれたり。なかなかうまくやっていると感心しています。」

ー 西川先生は、お子さんの様子などをずっと見てきていますが、その中で西川先生が思う音や音楽の魅力とはどんなところですか?
西川「子どもが創り出す音楽の良さというのは、弾いてる子どもたちは、色合いで言えば純真で真っ白じゃないかな、という気がするのです。しかし、一生懸命楽器に取り組んで創り出す音は、私は青色だと思っているんですね。透き通った、すっきりした、単純な中でも、何か魅力がある、青くて何処までも手が届かないような、そんな音楽を創るような気がしています。」

ー 大人が演奏する音楽とは、また別な魅力があるのですね。
西川「また違います。」

ー アンサンブル(重奏)では皆さんが一緒に演奏しますが、そのアンサンブルの魅力というのは、どのような点だと思いますか?
西川「1人がずっこけたら、もうだめなんですね。音楽が成り立たない。ですから1人1人はものすごく重圧がかかり、責任を感じる。子どもたちは、音楽をすることで、責任感というのをいつの間にか体得していく。そういう良いところがあると思っています。そしてピタッと一致した、息の合った演奏を体現できる。これは私は素晴らしいことだと思います。」

ー 3月3日に第3回スプリング・コンサートがありますけれども、西川先生はどのようなコンサートにしたいと思われますか?
西川「ずっと一貫して言っているのは、世界平和、と言えば少しオーバーになりますけれども、隣の人を愛すること、理解すること、協調して大勢で1つの音楽を創る共同作業の美しさ。そういうものが当日発揮できればいいのではないかと思っています。」

スタジオ ー いい顔でインタビューに答えてくださっている様子が目に浮かびます。子どもたちがかわいいですね。仲間にもなりライバルにもなる、とてもいい関係だと思いました。西川先生が素敵な感性ですね。子どもたちが出す音が青色って、聞いていてほれぼれしました。素敵な先生。西川先生は、長与町をオーケストラの町にしたいとおっしゃっています。同窓会などで集まった時に合奏をして、「オーケストラのために長与町に戻りたい」と思ってもらえるような。音楽が町に溢れることによって、希望に満ちた明るい未来になるのではないか。みんなが「長与町で生きていて良かった」と思ってくれるのが夢だとおっしゃっていました。
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エフエム長崎


広報ながよ「ガンバリスト」に寄せた記事(2013年2月)
両方の足は全く同じではない。でも嬉しい時は両方でスキップを踏み、悲しい時はトボトボ歩く。
『好きな友達と好きな曲を演奏しよう』との約束で二重奏(一部三重奏)に取り組んでいる。1人が右足になり左足になって懸命にスキップを試みる。足の方向の違いや自分の力不足、怠惰を反省したり、「本物の責任」を発見したりする。町主催の「平和コンサート in ながよ」をきっかけとして、町内の子どもたちで結成された『ジュネス弦楽アンサンブル』。活動を初めて4年目になる。
過去2回、内輪の演奏会だったものを今年は3月3日(日)に一般公開することにした。まだまだ力不足の感があるものの、団員は意欲的に取り組んでいる。
どうでしょう。十分な接待はできませんが、子ども達のスキップを聴いていただけませんか?トボトボしていたら「背筋を…」と、また見事にスキップしたら励ましの拍手をいただければと思います。


広報ながよ


第13回 平和コンサート in ながよ(2012年8月5日)
「子どものための弦楽器講座」が8月に終わって ”もっとやりたい” と思う子どもたちが集う団です。標記のように長い名前が付いています(「平和コンサート in ながよ」ジュネス弦楽アンサンブル )。私たちも平和を願って演奏しています。6月初旬、本川内で蛍を守る会に招かれて、演奏しました。演奏以上に蛍を守る環境造りをしている方々に、たくさん教えられるものがありました。蛍が住める長与川を造って、蛍の明りの中で美しい音楽が弾けたら、素晴らしいだろうと思います。今日も頑張ります。
たくさんの先生方のご指導に感謝しています。

埴生の宿(ビショップ)
 第二次大戦末期のビルマ(ミャンマー)の山中。敵に囲まれたのを知らない振りをして「埴生の宿」を歌い終わった日本兵の「うたう部隊」は、まさに敵に突撃しようとした時、取り囲んだ英兵が歌う同じメロディの「ホーム・スイート・ホーム」を聞かされる。敵味方は合唱し、手を握り合った。竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」の前半の名場面。音楽の力は大きい。この曲を演奏することで、音楽を愛し、平和を築こうとする心情を育みたい。
「ホーム・スイート・ホーム」は米国人ジョン・ハワード・ペインが作詞。彼は10代で両親を失っているので「家庭をうたう家庭を持たない詩人」と言われたそうだ。作曲は、英国のヘンリー・ビショップ。オペラ「クラリ ミラノの乙女」の劇中歌として作曲、今から90年ばかり前に初演されている。

少年時代 パッヘルベルのカノン風(井上陽水、編曲:K. Nakamura)
 パッヘルベルは、1653年ニュールンベルクに生まれている。宮廷作曲家であり、教会のオルガン奏者などをして、1706年52歳で他界している。バッハ家とは特に親交があったらしく、バッハにも大きな影響を及ぼしているといわれる。
この曲は「3つのバイオリンと通奏低音のためのカノンとジグ ニ長調」として書かれたもの。多作だった彼の作品の中でも最も有名な曲。
「カノン風」なので、先行する主題を他の声部が厳格にまねていく形で、K. Nakamura のアレンジではピアノが一声部と通奏低音を兼ねてうまく作ってある。曲はいつの間にか少年時代に移行され、「夢が覚め、夜の中・・・」と曲は盛り上がり、「8月は夢花火、私の心は夏もよう」と甘味を残して終結する。

ドラえもんのうた(菊池俊輔)
6月22日 ドラえもんのTVを見ました。
何しろ楽譜を見て「どらえもん」ではないということを知ったくらいに、テレビも本も見たことがなかったんです。我々とは思考回路の違った、何と楽しい番組だろうと感心しました。作者は藤子・F・不二雄。もともと小学館の学習雑誌に掲載されたもの。ドジってばかりの<のび太>とその相手役というより、いつも寄り添う<ドラえもん>。そして、その秘密の道具で、奇想天外な魔力での解決に拍手を送りたくなります。
曲は、今放送中のものでは出てこないが、少し前までのテーマソングで、この曲に乗って得意気に歩くドラえもんが、私のそばにもいるような気がします。気持ちの起伏を表すような三連音符と天真爛漫なスキップのリズムが、見事な織物のように主役のキャラクターを歌い上げます。

アンネン・ポルカ(J.シュトラウス2世、編曲:指方 浩)
 私事で恐縮ですが、長男がヨチヨチの頃、この曲を聴かせると必ず踊り出していました。何と一番面白かったのは、最初のテーマに戻る前の4小節の経過句でした。不安定な和音が、クレッシェンドされたり、転調への音の動きが何かを感じたのだと思います。また、曲はトリオを挟んだ三部形式、2/4拍子で、誰でもインプットできる単純なリズムも、幼児でも反応する要素だろうと思います。
曲は、母親アンナのために書いたと言われていますが、優しさや愛情に溢れ、それでいて或る種の気品を感じさせる曲です。ただ、父も J.シュトラウスで、同名のポルカを作っています。ポルカは、1830年頃ボヘミアで起こった舞曲ですが、この曲の初演は1852年ですから、急速にヨーロッパに広まった曲態なのでしょう。
この曲も宮廷舞踏会などでのリクエストが多かったそうですが、今日は親子の愛と優雅なヨーロッパを、指方先生に取り寄せていただきました。

第13回 平和コンサート in ながよ

第13回 平和コンサート in ながよ


第2回 スプリング・コンサートのあいさつで(抜粋)(2012年2月25日)
西川(演奏の前に)「ささやかな演奏会、早春の二重奏を中心とした演奏会です。どうして二重奏(デュエット)なのかというと、私は合唱の指導を17年間、それから吹奏楽の指導は約50年続けましたが、そうした中で「この楽譜は自分しか弾く者がいない、隣の人は楽譜が違う」という演奏をすると、子どもたちが一番力を付けることを実感したからです。二人肩を寄せ合って、片一方が崩れそうになったときには自分が一生懸命支える、そうしてきれいなハーモニーを作る、これは自分一人しかいませんので、責任が非常に重くなるわけですね。その責任を果たすためのおおもとになるのは、家庭での練習、一人一人の練習です。毎週土曜日にここで合奏をしていますが、合奏だけだと、自分が少しくらい間違ってもいいという甘えが出たり、前もって楽譜を見ずに合奏の時に初めて見て弾いてしまうクセがついてしまったりします。これでは本当の力が付かないのではないかと思い、デュエットを重視しています。吹奏楽関係では、小編成のアンサンブル形式をやるというのを何年間も言い続けて、九州では他の県がまだしていなかったときに、長崎県は先駆けてやるようになりました。すると、もともと長崎は後進県でしたが、今では福岡の壁も破って全国大会に出られるような力を付けました。合唱の方でも、今の合唱連盟の理事長に話したら共鳴してくれて、何年か前から小編成のアンサンブルをするようになったそうです。
 デュエットにはそういう狙いがありますが、完全な演奏はなかなかできにくい。ただし重責があるものですから、出演者一人一人はたいへん重い責任を小さな胸にひしひしと感じながら演奏するのではないかと思っています。上手くいきましたら、拍手喝采をお願いします。上手くいかなくても、がんばれよという拍手をしていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。」


第2回スプリングコンサート


第12回 平和コンサート in ながよ(2011年8月7日)
「平和であってほしい」そのことを次の世代に伝えたい。との思いで子どものための弦楽器講座が開設されました。今年は三年目です。5月から8月までと講座の期間は短いものの、次世代に伝えたいことは沢山あります。
まわりの「音を聞こう」とか、友だちの「演奏を見よう」など、音楽の一番手前の部分を大切にしています。見たり聴いたりすることによって、発見する眼が育ったり、驚きとか感動へと発展してほしいと思います。気持ちの起伏はあるものの、練習会での子どもたちの”眼”は素晴らしいものがあります。
ふるさと長与を出ることがあっても、また20年30年と時が流れても、夏には楽器を担いでこのホールに来て、平和であることの喜びや讃歌を演奏してほしいと願っています。
さて、今日はどんな演奏になるでしょうか。子どもたちの演奏を見てください。また聴いてください。

長与町町歌「明日をひらく」ジュネス改訂版(指方 浩)
 弦楽合奏の子どもたちのために、ジュネス版として楽譜をいただいたのは昨年でした。今年はその改訂版です。昨年のものを少し補正されたようです。
思えば、町歌はユニゾンから女声合唱・混声合唱用があり、さらにオーケストラ版、そして子どもたちのための編曲と、作曲者も大変だろうと思いますが、子どもたちにとっては大変ありがたいアレンジになっています。
ステージには随分成長した一昨年の講座生と昨年の講座生、さらに楽器を手にしたばかりの者までいます。でも、作曲者は初心者でも合奏に楽しく参加できるように細工してくれています。また、合唱版にない部分もあって美事な編曲です。
毎年のことですが、園児から中学生までの年齢差の中で、「明日をひらく」の意味をどう説明するか迷います。実は「君にひらいてほしい」のですが。

七つの子(本居長世)
 長世ははじめ「夢」とか「月の国」など、オペラへの意欲を見せていましたが、のちに童謡に転じ「赤い靴」「青い眼の人形」「十五夜お月さん」などたくさんの作品を残しています。そして大正・昭和初期の一連の童話隆盛に大きな貢献をして、昭和20年になくなりました。
近年日本語が壊れる(変化する)といわれていますが、ことばを大切にした長世の曲は私たちの心をゆさぶるものがあります。今日は、バイオリンのソロを交えて、童謡のよさや美しさを追いたいと思います。

Prèlude(町田育弥)
 三々五々練習場に来た子どもたちは、楽器を握るとまずこの曲から弾いてみます。子どもたちはこの曲が好きなんです。だって生まれて初めて弾いた曲だからです。まさに Prèlude「前奏曲」です。左手で弦をおさえなくても曲になるんです。「そらのうた」もそうですが、作曲の視点とか、技法に感服すると同時に、作曲者の子どもへの暖かさやたくましく育ってほしいといった思いが溢れた曲です。

そらのうた(町田育弥)
「ソ」と「ラ」の2音でできているメロディーなので「そらのうた」です。たった2つの音でできた曲でも、高く・より高く感じたり、広く・より広く感じたり、さらには水彩の青色に包まれたり、子どもたちは多くのものを感じとって演奏します。

ふるさと(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一、編曲:七澤清貴)
 戦後出版された楽譜でも、作詞者不明とされている高野辰之、「靴は破れて垢に染まり、洋服あれど外套なし」と書簡にあるほど貧乏だったらしい。でも、金田一春彦は「日本人に、日本に生まれてよかったと自覚させる詩人」の第一人者に挙げている。
作曲者 岡野貞一とのコンビは、「春が来た」「春の小川」「おぼろ月夜」「紅葉」と多いものの、何れも文部省唱歌とされ、教科書編纂委員だった辰之の名前は表に出なかった。
東日本大震災で全てを失った被災者が、「もうふるさとには帰れない」と語った時から、ジュネスでは練習前に「ふるさと」を演奏し続けてきました。今日は、いとうたつこ編曲の独奏曲を、なんと七澤先生に合奏曲にアレンジしていただいて演奏します。

第12回 平和コンサート in ながよ


第1回 スプリング・コンサートのあいさつで(抜粋)(2011年2月26日)
西川(演奏の前に)「今日は、早春の二重奏としての演奏会を企画してみました。一年間、ずっと合奏ばかり、大勢の中で演奏しているわけですが、そうした中で、二人で演奏して、そして二人で息の合った演奏、そういったものを狙ってみたわけです。息を合わせる、呼吸を合わせる、なんだか相撲にも通じるものがありますが、音楽では最も大切なものです。はたしてそれができるでしょうか。子どもたちはたくさん問題点を含みながらも、それを一つ一つクリアして、よく練習してきたのではないかなと感心して私は見ております。基本的には、好きな友達と一緒に演奏しましょうというのが一つ、もう一つは、今私たちは2冊の本で勉強しているのですが、この2冊の本の楽譜の中から好きな曲を選んで演奏してください、という2つの約束で今日を迎えました。はたして、どんな演奏になるでしょうか。今日は朝早くから父兄の方々にお出かけいただいて、子どもたちの励ましになるのではないかと喜んでおります。ありがとうございました。そしてまた、子どもたちは最後のぎりぎりまでピアノと合わせる、ということをしてきたようです。
 それでは、プログラムの一番最初に「研究発表会」とあるように私たちがいつも勉強していることを発表するわけですが、その発表について、あとどのような面を注意して練習すればもっと上手くなりますよ、もっとはやく上手くなりますよ、というようなアドバイスをしてくださるアドバイザーの先生方を紹介します。4人の先生方にアドバイスを紙に書いてもらいますので、解散する前に持って帰ってください。それから、ピアノが必要かどうかも子どもたちの希望通りにしています。ピアノ演奏をしてくださる先生も紹介します。2人で交代で演奏してもらいます。さて、おしゃべりはこれくらいにして、プログラムの一番から順番に演奏を始めてもらおうと思います。」


第1回スプリングコンサート


第11回 平和コンサート in ながよ(2010年8月8日)
もっと多くの子どもたちに音楽を通じて様々な大切なことを学んでほしいという思いで昨年からはじまった「子どものための弦楽器講座」も、今年で2年目となりました。48名の子どもたちは、5月16日から隔週毎に全体講座、それに加えて毎週2回の自主練習を重ねて、経験者はもちろん、初心者だった子どもたちもめざましい上達を遂げました。
愛らしくも、真剣な子どもたちの演奏にエールをお願いします。

ワルツ 作品39第15番(ブラームス)
 1883年生まれのブラームスがウィーンに出てきたのは29歳の時でした。当時は陽気で華やかなシュトラウスのワルツが最盛期で、それに誘発されたように3年後にこれを作曲しています。当時の音楽評論家ハンスリックは「真面目で無口なブラームス、北ドイツ風で、プロテスタントで、シューマンのように非世俗的な男がワルツを書いた」と言っています。保守的で形式を尊重した豊かで重厚な響きを持つはずのブラームスが、ワルツを書くのはウィーン特有の明るくて楽天的な空気の賜だと思われます。
全16曲中の15番目、もともとは4手用のピアノ曲イ長調。8小節の旋律がだんだん高くなったり元に帰ったりと、単調なメロディだがどこか魅せられるものがあります。
楽器を手にして一年、純真な子どもたちに、慎ましく、控えめなワルツを、愛らしく、美しく演奏してほしいと思います。

第11回平和コンサート


第10回 平和コンサート in ながよ(2009年8月9日)
これまで「平和コンサート in ながよ」では、オーケストラのメンバーに数人の子どもたちが参加していました。大人と一緒に同じ曲を作り上げていく作業の中で、平和のことや色々なことを学び、大切なことが若い世代に引き継がれています。
そのような中で、もっと多くの子どもたちに音楽を通じて様々な大切なことを学んでもらおうと「子どものための弦楽器講座」が開催されました。
この講座は今年の5月10日から始まり、隔週毎に全体講座を行いました。また毎週2回ホールでお父さんやお母さんと一緒に自由練習を重ねてきました。約7割は、弦楽器に触れたこともない全くの初心者だった子どもたちです。今日は、子どもたちの熱心に頑張った練習の成果をお聴きください。

ドレミの歌(ロジャース)
 1959年にNYブロードウェイで始まったミュージカル「サウンド オブ ミュージック」の歌の一つです。ヒロインであるマリア先生が子どもたちに音名を教える場面で歌われた歌で、のちに映画化されて有名になりました。日本では歌手・ペギー葉山による日本語詞の歌がよく知られています。1962年にNHKの「みんなのうた」で使用され、音楽の教科書にも掲載されたことで、広く親しまれることとなりました。

大きな古時計(ワーク)
 2002年に歌手・平井堅がカバーしたことでさらに親しまれることとなったこの歌は、1874年ワークがイギリスを訪問している際に、宿泊先のホテルで聞いたエピソードが元になっています。ホテルの片隅に止まったまま置かれていた古い大きな時計は、かつてそのホテルを経営していた兄弟の兄が生まれた日に購入されたもの。その後、兄弟の人生を見守ってきた時計でしたが、弟が亡くなると急に遅れだし、兄が亡くなったその時に止まってしまい、2度と動くことはなかったというものでした。
日本では1962年にNHK「みんなのうた」で放送され、それ以来多くの人に歌われています。本日はドレミの歌とともに、作曲家 町田育弥氏の編曲で演奏いたします。

 

Jeunesse String Ensemble of Nagayo
Since 2009 summer

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